こんにちは、コウです^^
それでは今日も元気よくやっていきましょう!
本日のテーマはこちら。
【全部見せます】今年のシマノ鈴鹿の為にやってきたこと PART 1【初心忘るべからず】
こういうテーマでやっていこうと思います^^
今回は、少し精神論的なお話を書こうと思います。

シマノ鈴鹿優勝を掲げて、各地のレースを転々とし、色々試したり、買い物をしたりの記録を綴っている当ブログですが・・・。
正直、目を見張るほどの成果を全然挙げられずにいます。
これをやったら勝てました!
・・・と書けた方が、記事のネタにしやすいことはよく分かっています。
ですが、現実はそう甘くない。
このブログを書いている期間だけでも、優勝記録はゼロ。
表彰台に乗った回数すらゼロ。
ストレートジュース飲料も真っ青になるレベルの、混じりっ気なし純度100%のゼロです。
シングルリザルトは結構多いですが、旨味なんてございません。
なんせロードレース・クリテリウム系で最後に優勝を飾ったのは、2019年7月のAACA 1-2ですからね。
もうすぐ丸7年が経ちます。
例えばですが、これを読んでいる皆様が、私と同じ環境に置かれたらどうでしょう?
これだけの期間勝てなきゃ、もう心が折れて競技なんてとっくに止めてるって人もいるでしょう。
ショック過ぎて、競技引退どころかサドルをフックにかける方もいるかもしれない。
もちろん、まともにトレーニングができない心理状態にあった時期もありましたし、生活の変化を優先し自転車を二の次にしてきた時期もあります。
順風満帆にトレーニングがこなせていたわけではありません。
しかし、過ぎた時間と結果はそんな事情を汲み取ってはくれません。
ただ、ある時考えたのです。
努力しているという現実は確かにそこにあるのですが、
なぜボロボロの結果ばかりでも、モチベーションを失わないのか
何が私をそこまで突き動かすのか
その理由を深く考えた事はありませんでした。
そこから導き出した、かつて勝利に向かってひた走っていた当時の自分は、何を考え行動していたのか?何を持っていたのか?
ここ数ヶ月の間、ブログの更新を止めていました。
更新が遅いのはいつものことではありますが、意図的に止めていました。
この期間、「勝つ」という結果を手繰り寄せていた当時のマインド、行動を分析し、整理し、今は実践に移しているフェーズに移行しています。
あくまでも私という母数n=1の人生におけるマインドなので、個人的見解に過ぎないことは言うまでもありません。
それでも、必ずや再び表彰台のど真ん中に戻ることを諦めてはいませんし、そこへ向かう努力は小さくも続けています。
そのおかげか、シマノ鈴鹿の1週間前時点の今の私は、去年の同じ時期と比べて「勝っている」と明確に言えます。
もし、この記事を拝読されている皆様の中に、
- 前ほど良い結果を残せなくなった
- 昔は勝てていたが、諦めてしまった
それに近いお考えの方がいらっしゃる、あてはまる境遇の方がいましたら、微力ながら参考になればと思います。
【昔話 勝てなくなった3年間の中身】
私がスプリンターとして活躍できたのは、大学を卒業するまでの4年がピークでした。
そこから競技に復活するまでの3年間は、本当に地獄のような苦しみを味わいました。
おおざっくり言うと、
- 鬱状態になり、その回復に1年以上かかった
- 運動習慣の取り戻しに難航し、「フィジカル」から「機材」に依存する思考に陥った
という、負のスパイラルに足を踏み入れてしまった時期でした。
鬱に陥る
社会人になってからの二年間は、日を追うごとに増していくストレスに悩み続け、たった半年足らずで運動する習慣を失いました。
4年間積み上げたライド習慣がごっそり無くなったのです。
今思い返せば、程度はともあれ立派な「鬱状態」にありました。
自転車を見ても、触りたくもない。
何をするにも億劫、飯も食いたくないし誰とも会いたくない。
帰省から戻りたくないと本気で思えてくる。
終いには、無性にため息や涙が出てきてしまう。
一回上司の前でクソでかいため息をついちゃって、めっちゃ怒られたこともありましたね(笑)
当時は岐阜の大垣に住んでいましたが、山岳に恵まれ、車もそう多くなく、冬になると風が強いので向かい風の中走るトレーニングもできる。
本来なら自転車に乗る上では最高の環境でしたが、身体を動かす習慣が無くなった人間からすると、これもまた地獄。
だから、1時間以上乗り続ける事に苦痛を感じていましたし、2週間から1ヶ月以上、次のライドまで空くのもザラでした。
もう本当に、
昔の自分は死んだ。自転車への熱意もパフォーマンスも完全に落ち切った今が、潮時だ
真剣にそう思っていました。
だけど心の中では、こんな生活を今後40年も続けたくないと切に思っていたのも事実。
その思いが爆発し、2021年の年末に1社目にサヨナラバイバイし、2022年初頭に転職。
三重の会社へ転職しましたが、ここもここで色々おかしい真っ黒企業だったので、3年半で出ていきました。
現職は、こんなキャリアから考え付かないくらいの愛知の大企業に移れ、ようやく平穏な気持ちで仕事ができ、気持ちも安定してきたところです。
今の私はこの3年半があったからこそ成り立っていると思っているので、色々思うところはあるものの「ありがとう」って感じですがね。
戻らないフィジカルに焦り、機材に依存していく
しかし、一度鬱になった人間はそう簡単に復活できません。
ここから自転車に再び乗れるようになるまでには、まずメンタル面の回復に少なくとも1年はかかりました。
とにかく短くゆっくり、でも乗る頻度は絶対切らさないことを意識するところから再開しました。
最初は苦痛そのものでしたが、元々楽しんで乗れていたはずの乗り物です。
いつか体が馴染むはずと思い続け、ひたすらチョイノリを繰り返していました。
もちろん、こんなのではフィジカルなんて付きやしません。
でも、それを求める段階には今はない。
まず「”動くこと”を当たり前にする習慣」を身に付け直すこと。
ここを徹底的に叩き込むことを考えていました。
それを意識し、実際に体を動かし始めると、次第に外へ出ることが苦じゃなくなってきたのです。
本当に不思議でしたが、無事にまた自転車に跨れるようになったのです。
競技への気持ちが戻ってきたのも、ちょうどシマノ鈴鹿に久しぶりにエントリーした2023年くらいです。

長年の相棒だった、スコットFOILで最後にシマノ鈴鹿を走った年でもあります。
人間、何もしないというのは静かな自殺に近いものだなと、この頃学びました。
ただ、この年のシマノ鈴鹿で「機材の差」を目の当たりにしたのですね。
全く体が仕上がっていないとはいえ、大学時代と同じ速度が出せないわけではなかったのですが、苦しくなかったところで苦しい。
現役で走っていた頃とスピードレンジが違う事を肌身で感じたのです。
その差を手っ取り早く埋めようと思ったら、物理的に何かを変えるのが一番早いわけです。
この頃から、機材で何とかできないか?という罠に嵌まっていったのですね。

リムブレーキ屈指のエアロロード、サーベロS5に乗っていたのもこの頃です。
懐かしいなあ・・・。
この3年間、色んなバイクを乗っては売り、乗っては売りを繰り返してきました。
機材オタクなので、フレームも交換の対象になると思うと、どうしても心は弾むんですよね(笑)
で、乗り換えてちょっと走ると「あ、このバイク速い」という違いは感じ取れる。
2回目くらいの乗り換えで満足できればよかったのですが、その後の対応が不味かった。
そのバイクの旨味を長持ちさせる術を持たずに、「こっちに乗り換えたらもっと速いのかな?」と、次を探し、そのさらに次を探しにいっていたのです。
しかもバイクを性能面だけで比べていたので、当然ながら古いモデルから乗り換え続けてきました。
この思考に陥ると、常に「最新型が性能上は最高」という至極当たり前の結論に行き着き、とかく上ばかり見続けてしまうのです。
怖いのは、その思考が常在化してしまうこと。
そんな思考を持ち続け、勢いのままに買い換えていった末、VENGE PROを入手したことでディスクロードへの門戸を叩いてしまうまでに行ってしまいました。
まあ結果的にこの選択は間違いじゃなかったと思っているので、私は良いのですが。
ここで、私が凄く後悔していることを一つ。
「手放したロードバイクたちに今乗ったら、どんな評価になるのだろう?」ということです。
コガKIMERA、TMR01、S5、MADONE SLR、TARMAC SL6と、剛性の塊なバイクからエアロの最前線を駆け抜けたバイクまで一通りかじってきましたが、どれも「フィジカルの穴を埋める目的で乗っていたバイク」です。
- FOILよりもっとスピードが欲しい→ TMR01
- TMR01よりももっと速いバイクが欲しい→ サーベロS5
- S5に剛性が欲しい→ MADONE SLR
- 上り遅いから、軽くてエアロ寄りなオールラウンダー欲しい→ TARMAC SL6
もちろん、そういった目的で乗り換える人も一定数いますし、その考えを否定する気はありません。
私自身がまだ全然発展途上だった身体で、バイクの評価を下していたことを後悔しているのです。
バイクの進ませ方も分かっていない状態で、フレームだけが変われば速く走れるようになる。
本気でそう考えていたのですが、実際に試してみたら、全然そんなことはなかったわけですよ。
乗り換える度に、フレームの進ませ方が全然違う。
基本的に何年も乗ってきたFOILのペダリングが基準になっているので、これに合うのは同じカーボンを使ったFOILだけです。
人間とバイクとの調和
この機材スポーツに取り組む上での基本且つ不変の論理を無視し、バイクに体が馴染む前に良し悪しを判断し、メーカーの相対的評価とレビューによる評価だけで乗り換え候補を決めていたので、愚かしいにも程がありました。
バイクと諸々のパーツの組み合わせによる自分との相性がすごく大事であることを、この3年間で学び得ました。
そしてその相性を確認する唯一の機会が、シンプルに乗り込むことなのです。
初歩的な事ですが、気づくのが遅かったと思っています。
しかし同時に「私は今このタイミングで気づくように、人生を作られていたのかもしれない」とも考えています。
このまま気づかずに沼に嵌まっていくというパラレルワールドだってあったかもしれませんから・・・。

定点観測。
同じ場所で撮影をする、こういうのも大事です。
今の愛車であるFILANTE SLRに対して、私はとても慎重な姿勢を取っています。
何せこのバイクの完成形に必要なピースの1つに「METRON 60 SL」という重量級のカーボンホイールを使わないといけないので、使うタイヤやチューブなどにはとても気を使っています。
練習用タイヤや重いブチルチューブで評価を下して良いホイールじゃないです。
【勝てないのは”年齢による衰え”なのか? ・・・否、必要な装備が足りていないだけだ】

偉そうなことを書いているものの、私自身めっきり勝利から遠ざかって久しいです。
ですが冒頭の通り、3年間「シマノ鈴鹿での優勝」を掲げ、ずっと準備を続けているのはこのブログの皆様はよくご存じかと思います。
去年までは、いや今年の初めまでは、
とにかく走る、きついと感じる強度で走り続ける=トレーニングになる
と考えて乗り込んできました。
実際2024年、2025年は表彰台の近くまで上り詰めることはできたので、方向性としては間違ってはいなかったと思います。
しかし同時に、何もかもが落ちたところからの再スタートなので、ある程度何をやってもそこそこ走れるようになるものです。
大学時代の時分と同じように走れば、ある程度同じレベル付近までは戻すことも可能でしょう。
ただし、一つ大きな問題があります。
当時と今では、生活環境が全く違うということです。
守るべき家族がいる。
仕事をしている。
ゆえに、学生時代と同じ時間の使い方はできない。
限られた時間資源をどう配分すれば、当時に近いパフォーマンスを身に付けられるかが、勝てる確率を上げると言っても過言ではないです。
つまり、闇雲にあれこれやるのではなく、得意分野で勝負するに至るまでの自身の弱点を炙り出し、トレーニングで集中的に鍛え上げる。
サラリーマンレーサーなら当たり前のことを、取り入れるに至ったわけですな。
時間効率が最も良い方法で、苦手分野を集中的に潰しこむことに決めました。
この話の顛末を見て、ピンときた方もいるのではないでしょうか?
これって昔流行った「インターバルトレーニング」の流れやん
お察しの良い方であれば、ここまでの流れと文章だけ見れば、たしかにそうです。
詳しいことは他のブログやコラムを読んでいただきたいですが、要は短時間で高強度と低強度を出し入れするトレーニングですね。
ですが、私は安直に「インターバルやろっと」というノリで始めたわけでは無く、もう少し踏み込んで考えた上でこのトレーニングを取り入れるべきだと結論付けています。
そもそもこの方法を実践するには、ある条件があります。
そこそこ走れる土台が既に完成しているか。
ここがとても重要です。
実のところ、この分析を始めたのは今年の4月ごろ。
その時点で割とまとまったトレーニング時間が確保できていたことから、今年は去年よりすでに幾分か走れる身体にはなっています。
その上でなお、インターバルトレーニングを取り入れる決断をした理由は、外で走るトレーニングでは実現不可能なレベルの質と量の刺激を体に入れる必要がある事から、取り入れるべきだと考えました。
ちなみにインターバルトレーニングを「まとまった時間が取れないサラリーマンに完璧!」などと魔法のトレーニングかのように吹聴するコラムもありますが、私は全くそんなことはないという考えです。
私は1社目に入ってからの2年間、そう多くはなかったもののインターバルトレーニングを実践していましたが、強くなるどころか弱体化していきました。
ベースが育っていない上にきつい刺激を入れても、精神的にも肉体的にも数をこなせる、こなしたいという状況にならないからです。
「今から畑を耕して土を掘り返します!」っていう状態の田んぼに、いきなり稲を植えても育ちません。
【まとめ】
最後に、まとめ行きましょう!
今回のテーマは以下の通り。
【全部見せます】今年のシマノ鈴鹿の為にやってきたこと PART 1【初心忘るべからず】 でした。
本当は一つの記事で出そうと思ったのですが、2万文字以上になりかなり長くなってしまったため、具体的な方法に関しては次回にします。
それでは今日も、ありがとうございました!
また次回を、お楽しみに!
